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guest talk "bicara bicara"

bicara bicara(ビチャラ ビチャラ)とは、インドネシア語で
「おしゃべり」のこと。
このコーナーでは毎回ゲストを迎え
モンスーン・ニッポン・プロジェクトについて自由に語り合います。

写真1

建築家の吉田桂二さんは日本の住宅建築の第一人者。
これまでに手掛けた住宅の数は、なんと2000軒以上にのぼります。
最近、吉田さんが町を散歩しながら感じることは、
窓を閉め切った家が多いということ。
風通しの良さを最優先してきたはずの日本の住宅が変わってきた理由は何なのか?
それによって私たちはどう変わってきたのか? そしてどんな家が望ましいのか?    
人間と住まいの関係を60年近く見つめ続けてきた吉田さんのお話の中には、
これからの時代に心地よく暮らすためのヒントがたくさんちりばめられていました。
気候に合わせてつくられてきた日本の家
 その土地の気候風土に合わせた家を建てる。それはもう当然のことですよね。日本という国は実に面白い国で、こんな小さな島国なのに東西南北気候風土の違いが非常に大きい。僕はこれまで日本全国でたくさんの住宅を手がけてきましたが、やはり地方によって建てる家はかなり違います。たとえば、北の家は冬の厳しい寒さに備え、外に出なくても生活できるように一軒の家の中に何でも取り込むような間取りになっています。昔の民家を見てもそういうつくりですよ。おじいさんおばあさんが暮らす部屋も、若夫婦が暮らす部屋も、全部一軒の家の中につくる。大きな民家はそのほとんどが東北や北陸など寒い地方に多く残っています。一方、気候の温暖な南へ行くほど家が小さくなっていく。そして、母屋と離れのように敷地が一緒でも別棟の家が多くなります。
 昔の民家を調べていくと、日本では台所は煙が出るということで母屋とは別棟に作られることが多かったことがわかります。ところが、北の方ではその台所の煙も暖房の一つになるものだから、昔から台所は居住空間と一緒につくられている。そもそも台所を別棟にする、という家のつくりは、韓国や東南アジアでよく見られる形なんですよね。台所が別棟にある民家がどこに多く残っているかを調べると、九州から四国の南側、それから東海、関東の水戸あたりまでその痕跡のある民家が残っている。まさに黒潮ルートですよ。海沿いにそういう家の形が伝わってきたのでしょう。つまり、それらの地域は気候が似ているということにもなります。
 民家の変遷を調べると、昔の人たちもまた自分が暮らす土地の気候に合わせた家をつくろうとしていたことがわかります。おそらく非常に長い長い時間をかけて、その土地の気候に合う形の家を見つけ、それを真似て建てられるようになっていったんでしょう。ところが、今では土地の気候よりも経済優先の発想でハウスメーカーが作る標準型の家が日本全国どこにでも建つようになっています。標準というのは、結局一番戸数が売れる場所、つまり都会のライフスタイルに合った住宅ということ。今「家を買う」という言い方する人が非常に多いでしょ? だけど家は「つくる」ものなんです。もちろん、実際に建築する人は大工や職人だけど、そこに暮らす人間がその土地の気候や自分たち家族の暮らし方を考えた上でつくる。家とはそういうものなんです。

写真2
絵も描かれる吉田さん。ご自分が設計される建物の完成図はもちろん、国内外で目にした民家や遺跡を絵に描きとめることが多いそうです。市谷にある事務所のデスク横には、現在手掛けている建築物を詳細に描いた絵がいくつも壁に掛けられていました。
環境に適応する力がどんどんなくなってきている
 最近の日本の家はとにかく「高気密・高断熱」をうたったものばかりです。そして、多くの人たちが「車の騒音がうるさい」「花粉が入ってくる」と言って窓を閉め切り、部屋に空気清浄機をかけて過ごしている。そして、夏になると窓を閉めたまますぐにエアコンをかける。果たして、そういう暮らしが人間にとって本当に快適な生活なのだろうか? と僕は疑問に思いますね。
 日本の家が「高気密・高断熱」の家に変わってきたのは戦後から。確かにその頃の日本の家は住みにくい点が多かったのは事実です。階段は急だし、部屋の中は暗いし、水道も整備されていない上に、汲み取り式の便所。もっと住みやすい家に住みたい思う気持ちは、当然だったでしょう。ただ、それが行き過ぎてしまった。そして、そこに暮らす我々もそういう家に慣れ過ぎてしまったんだと思います。
 人間にはもともと環境に適応する力があります。だからこそ、地球上でここまで生き延び、繁栄を極めてきた。世界中を見渡してみてください。極寒の地域にも住んでるし、食べ物がほとんどない場所にだって人間はたくましく生きている。それくらい環境適応力のある生き物なんです。ところが「高気密・高断熱」の家に暮らす日本人には、その環境適応力がだんだんなくなってきているように感じます。それに、僕には日本人は環境が汚れているということに苛まれ過ぎているように見えてならない。その結果「騒音がうるさいから窓を二重にしたい」「花粉が入ってくるから家の気密性を高めたい」と、家の設備にあらかじめ快適な環境を頼るようになってしまった。家の設備が快適になるにつれて、ますます環境に適応する力はなくなり、より一層完璧な環境を家の設備に頼ろうとしている。もうちょっとおおらかな気持ちで暮らせばいいのになぁと、僕は思います。

写真3
日本の気候に最適なのは、やっぱり木造の家
 家の設備に快適な環境を頼らないためにも、家をつくるときは気候風土に合わせるべきです。日本の場合は、やはり多湿という気候を考えた上での家づくりが必要です。日本の家にはやっぱり木造が最適です。これは時代がどれだけ変わろうと不変だと思いますね。その理由は、もちろん多湿な気候に建てる家の材料に木という素材が合っているからです。木は湿度が高くなると余分な水分を吸収し、空気が乾燥してくると吐き出す性質を持っています。柱一本でビール瓶1本分の水分を吸収・放出すると言われているのだから、すごいでしょう? 木が自然に室内気候を調節してくれているから、私たちは木の家に入ると和みを感じるんだと思いますよ。
 木の家は耐久性がないと考えられがちですが、実はそんなことはありません。法隆寺をごらんなさい。1000年以上もっている。まぁ、あれは特別な例だとしても、普通の住宅でも100年は十分もちます。それに、木は材木となって家の柱になってもまだ生きているんですよ。100年ぐらいたった民家の柱を再利用しようと工事をすると、その最中にぐぐーっと大きく曲がってきたりするんです。そういう力を見せつけられると、木ってすごいなぁと思いますよね。
 戦後建てられた家は、木造と言っても輸入材を使って建てた家がほとんどでした。終戦後に植林された木々がまだ十分成長しないうちに建築ラッシュが押し寄せてきたものだから、海外から木材を仕入れるルートができてしまったんです。でも、戦後植林された杉やヒノキも樹齢50年以上になって、十分材木として使える太さになっています。僕もずいぶん前から国産材で家を建てる取り組みを始めています。南洋材の多い輸入材に比べて国産材のいいところは、強度がある点。日本には四季があるので国産の木には年輪ができる。それがパイプ構造となって木の強度が高まります。同じ太さなら、輸入材より国産材の方がはるかに強い。やはり、その土地で育った木でつくる家が一番理想的なんですよ。
家の風通し、人間関係の風通し
 では、その木を使ってどんな家を建てるか? 「家のつくりようは、夏を旨とすべし」という吉田兼好の有名な言葉もありますが、日本の蒸し暑い夏を涼しく過ごせる家をつくるにはいかに通風をよくするか、それにかかっています。昔は家の間取りを大きく取っていたので、通風がとてもよかった。ところが、戦後になって「プライバシー」という発想が欧米から入ってきたことで個室主義になり、間取りが細かくなって一気に風通しの良くない家に変わってしまいました。おまけに最近では窓も開けなくなってきて余計に通風が悪くなっていますよね。
 僕は家の風通しが悪くなったことで、人間関係の風通しも悪くなってしまった気がしてなりません。昔はどの家も窓や縁側が開けっ放しだったでしょう? それで近所の人たちが気軽に声を掛け合ったり、訪ね合ったりしていた。昔のように近所のコミュニティがしっかりしていれば、防犯のためだとか言って窓を閉める必要もなくなります。逆に言うと、通風の悪い閉鎖的な家に住むと、町にコミュニティがなくなってしまうということです。
 僕が家を建てようとしている人によく言うのは「門を作るな」ということ。門を作らない家を建てるだけで町は変わってきますよ。門がないと道路と自分の家の敷地の境界があいまいになります。そうすると、落ち葉の掃き掃除をするときも自然と家の外の道路まで掃除するようになってくる。そのうちに向いの家の人と顔を合わせる機会が増えて挨拶をする仲になる。そして「デパートのセールへ一緒に行かない?」「これ、おすそわけですけどどうぞ」と、近所づきあいが始まってコミュニティができる。門を作る理由に防犯対策を挙げる人がいるけれど、町のコミュニティが機能していればその必要はなくなりますよ。それに門がなければ、新聞だって家の壁に取り付けたポストに直接投函してもらえるから、雨の日でも新聞にビニール袋をかけなくてすんで環境にもいい。その上、門を作らない分、家を建てるときのコストも抑えられるしね。ほらね、いいことばかりでしょ?(笑) 

写真4
吉田さんが手掛けた住宅の一例。門を造らないことで道路との境界線があいまいになっています。そこには隣近所とのつきあいを深め、町のコミュニティ活動を誘発していくための、吉田さん流の仕掛けが仕込まれているように思えてなりません(写真右 提供:連合設計社市谷建築事務所)。

 家づくりは近所の人間関係づくり、さらには町づくりにも大きく関係してきます。僕は全国各地の町づくりに関わることも多いのですが、最近携わったのが、四国・愛媛県の内子町の公共事業。そこで僕が設計した中学校の校舎は木造平屋です。今年の秋にはそれまで使われていた4階建ての鉄筋コンクリート校舎が取り壊されます。鉄筋校舎が木造校舎へ変わるというのは、今の人にはちょっと変わった風景かもしれませんね。この変化は、近代化とは逆の方向のように見えますが、それが今の時代の進化だと思います。
 この新しい校舎を建てたのは、地元の大工さんや職人さんたちです。僕はね、町づくりをするときはその町に住んでいる人たちがいかに関われるかが重要だと思っています。人間って、関われば関わるほど愛着が湧くようになっている。町づくりに町の人たちが直接関わることによって、彼らは自分たちの町をより愛するようになります。そして、このことは家づくりでも同じことが言えると思います。

写真5
愛媛県内子町の中学校。光と風を巧みに取り入れた校舎内は木の香りが漂う清々しい空間です。各教室には南側と北側の両面に窓が作られているので、風通しの良さは抜群。どの窓からも庭が眺められるように、という吉田さんの思いが工夫となって表れたユニークな建築物として町民の人々から親しまれています(写真提供:連合設計社市谷建築事務所)。
日本ならではの暮らし方にヒントがある
 東京の夏もね、冷房がなくてもけっこう暮らせるものですよ。僕自身、家では扇風機だけで過ごしています。ただし、扇風機は2台。1台は南側の縁側に部屋の方へ向けて置き、もう1台は北側の窓の前に外に向けて置く。台所の換気扇も常に回して、扇風機で風の通り道を作るようにして過ごしています。そうやって家の中に風の通り抜ける道を作るだけで、意外と涼しく感じるものなんですよね。
 自分が住んでいる家の環境づくりを設備にまかせるのではなくて、自分で考えて動くことが大事だと思いますよ。暑ければ窓を開ける、ジメジメするなら布団や畳を干す。あとよく掃除をすることですね。掃除は家のメンテナンスですよ。そうやって手をかけていくうちにその家に対して愛着がわいてくる。掃除をして部屋がきれいになれば、今度は出窓に花瓶を置いて花一輪飾ってみようか、という心になってきます。そして、それを眺めて美しいと感じる心が生まれる。自然と共にエコロジーに暮らすというのは、人間の心に美しさを喚起してくれるものだと思います。
 そういう意味では、昔の京都の人は自然と共に暮らす方法をよく知っていると思いますね。京都は非常に密集したところに町屋がひしめくように並んでいますが、間口の狭い家でも中庭が必ずありますよね。アメリカ式のだだっ広い芝生の庭に比べて、木々の配置で日陰を作る日本庭園は非常に涼しくてエコロジカルな上、京都の町屋の中庭は非常に通風がいいんです。中庭と言っても小さいから、そこに上昇気流が起きて周りに家があっても風がうまく抜けていく。さらに、そこに水をまいて一層涼しくなるようにしています。あれは、一種の冷房装置ですよね。なかなかうまい暮らし方だと思います。
 そんな日本ならではの暮らし方をもう一度、見直してみるのもいいじゃないですか。きっと何か発見があると思いますよ。

よしだ・けいじ Keiji Yoshida
1930年岐阜県生まれ。連合設計社市谷建築事務所代表。1952年、東京美術学校(現東京芸術大学)建築科を卒業。一般住宅を中心に数々の公共建築の設計に携わってきた。その一方で日本各地に残る民家を訪ね歩く活動や町並み保存活動にも精力的に参加。『ディテールで読む木の建築』(風土社)、『間取り百年』(彰国社)、『納得の間取り日本人の知恵袋』(講談社α文庫)など、その著書は50冊以上に及ぶ。2003年からは建築現場で働く人々を集め「吉田桂二の木造建築学校」を開校している。